親孝行をしたいとき親はなし
子どものころ、「親孝行をしたいとき親はなし」という言葉を聞いた。
そのときは、ただ「親がいなくなってからでは遅いんだな」くらいの意味にしか思わなかった。
ところが、自分が親になってみると、少し違って感じる。
子どもがいてくれるだけで幸せなのだ。
笑っている姿を見たり、「おかえり」と声をかけ合えたりする、
そんな何気ない日常こそが、すでに親孝行のように思える。
だから、「親孝行をしてほしい」とはあまり思わない。
むしろ、子どもには自分の幸せのために時間を使ってほしい。
挑戦し、迷い、悩みながら、自分の道を歩いていってほしい。
その姿を見ることが、何よりもうれしいのだから。
もしかすると「親孝行をしたいとき親はなし」という言葉は、
親が子に何かを求める言葉ではなく、
「今ある愛情を後回しにしないように」という人生の教えなのかもしれない。
親の愛も、子の思いも、どちらも限りある時間の中で育まれる。
その尊さに気づいたとき、もうすでに、私たちは互いに親孝行をしているのかもしれない。
子供から大人になり抱えていた「ジレンマ」は、親となり晴れた気がする。
親にしてくれて「ありがとう」